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ボランティアIN宮城 南三陸町レポート 終わり 影響

さて一通りレポートを書かせてもらいました。
最後の方はちょっとはしょってる所がありますが、
一応これが俺が見た現実です。
言葉にするのが難しくて、レポートという言葉には程遠い結果に。。。

このレポート書くのはつらかった。
でもみんなに今の状況を知ってもらいたい。
ちょっとでも被災地に何かできる事が無いか
ということで書かせてもらいました。

それでは、最後に自分に起きている影響を書きたいと思います。
まず、大食いになってます
なにかわからないですが、いっぱいご飯を食べてます。
おそらくストレスが影響してるんでしょう。

感動が薄れてきてます。
自分の好きな風景を見てもあまり感動する事が無い。
写真をたんたんと撮る感じです。
これらは、時間が解決してくれるでしょう。
それにおれは、また被災地に行きたい。
どう復興していくかを見届けいきたいです。

最後まで読んでくれた方々ありがとうございました。
# by nikonikosan23 | 2011-08-07 23:32

ボランティアIN宮城 南三陸町レポート part4 この仄暗い街に光を

それから、休憩した後に街を一周した。
街の中心にある防災庁舎に行った。
防災庁舎という名前なのに鉄筋しかない。
防災庁舎の屋上まで水が来て、フェンスごと流されて
助かったのは、町長と一番上のアンテナにしがみついていた数十人だけ
後はみんな流された。
その後、瓦礫しかない道を歩いていく。
道端に写真やトロフィーが転がっていた。
写真は小さな子供がぴーすしてる写真だった。
その隣の水たまりには一面蠅だらけ。
蠅で水たまりが真っ黒になってる姿は衝撃的であった。

後5カ月経った今でも遺体が出てくるらしい。
まぁそれも手だけであったり一部だけだし、
DNA判定のしようもない。
だから、結局誰か分からないらしい。

さて、午後もボランティアを開始した。
みんな黙りつつ、でも少しずつ喋りながら作業を続ける。
そして、みんなの頑張りのおかげで3階フロアの瓦礫の分裂が終了した!!
最後の頑張りには、僕もみんなも一丸となってやれたような気がする。
ほんとに私たちに達成感が広がった。

その後、バスに乗って南三陸町の中心部から離れていく。
実はもう9割は片付いているらしい。
はっきり言おう。この町は住民が戻ってくるという事はない。
違う所に町を移転するのだ。
だから、もう元の場所に戻るという事は無い。

町は死んだ。

さてその後、南三陸町のボランティアセンターに行き反省した後
南三陸町から離れていく。
ちょっと名残惜しかった。
もっと見たかった。写真を撮りたかった。
俺は、最低なのかもしれないけど。

その後、石巻の道の駅で温泉に入って豚串を食べていた所。
ある夫婦に話しかけられた。
その夫婦は、石巻に住んでいる被災者であった。
その夫婦が、ボランティアの方ですか?
と聞かれたので、そうですと言ったら
握手を求められて、泣きながら感謝されました。
僕も泣きながら、ちょっとしか出来なくて申し訳ない。
がんばってくださいとしかいえないですけど
関西で何か出来る事があれば協力させて頂きますと言った。

でもこの夫婦に言ってもらって救われた言葉が
被災地の写真を撮ってくれ。この現実を周りの人に伝えてくれ
という言葉だった。あー俺は間違ってなかったな。と思った

それから、また揺れるバスに乗られて、朝8時に富田林市役所に到着。
その後家に帰って、家ですぐフイルムを現像した。
フイルム10本5時間ぐらいかかったが、
一通り出来ている事に安心し、その後寝たら朝の3時だった(笑)

あーPL行けなかったなぁ行きたかったなぁ
と思いながら現在に至る。
# by nikonikosan23 | 2011-08-07 23:23 | 写真

ボランティアIN宮城 南三陸町レポート part3人として 自分として

今回の話にはぐろい内容が含まれています。耐性の無い方は読まない事をお勧めします。

今回はこのまえがきをしておきます。
なぜかというと今日この話をして、友人が体調を崩しました。
ちょっとその友人には話しすぎて反省しています。

でもこのブログには全てを書いていきたいので、
覚悟のある方は読み続けて下さい。

私たちはその後少しミーティングした。
主な内容は地震が来たときの対策である。
地震が来た場合は屋上に避難するということ
単独行動は絶対に避けることだ。
単独行動に関しては、前の違うボランティアの人が
単独行動をしてて、井戸の中に落ちて一時行方不明になったらしい。
一応助けられたけどね。
まぁそのような注意事項の後、
三階に上っていく。

三階に着いた時真っ先に目がいったのは、
4月28日自衛隊という文字
これは自衛隊が捜索しましたよっていう目印なのだ。
それが壁に書かれていた。
さて、三階の様子はなにもなかった。
たぶんベッドとかはすでに撤去したのだろう。
でも床には大量の土砂やゴミがあって、
それを全部分別するのが今回のお仕事。
すぐに作業は始まった。
分別していくと様々な物が出てきた。
例えば海藻やガラスなど~
後医療カルテやレントゲン写真が出てきたのはびっくりした。
俺が作業しててきつかったのは、やっぱり写真かな
泥の中から家族の思い出写真が出てきたのはショックだった。

さらに、衝撃的なのがなんと天井に枕が突き刺さっているのだ!!
あの布の柔らかい枕が天井に突き刺さってとれない。
どれだけ津波の水圧がすごかったを物語っていた。

後、匂い。ものすごい匂いがする。鼻を突き刺さるような
ものすごい腐ったにおい。その場に居られなくなるような匂いがしている場所もあった。

しかし、人間とは恐ろしいものだ。昼食の時間には、私は南三陸町の光景に慣れていた。
私は、10メートルぐらいの高さのある瓦礫を見ながら
むしゃむしゃおにぎりを4個ぐらい食べた。
もう慣れているのだ。何も感じない。
これが日常の光景なんだと錯覚してしまっていた。
# by nikonikosan23 | 2011-08-04 23:31 | 写真

ボランティアIN宮城 南三陸町レポート part2終焉

ぐちゃぐちゃに積み上げられた車達
土台しかない家
赤色に変わった木々たち
駅舎の無い駅
橋脚の無い鉄橋
民家の二階だけが田んぼに突き刺さっている
コンクリートしか残っていない家
海・・海・・・海・・・・・・
その時、空は曇ってた。

私は、その光景になんて言葉にしていいか分からなかった。
バスの中にいた人たちみんなそんな雰囲気だった。
ただ、私はこれは記憶に残さなければならないと思った。
考えると感情が止まらなくなる。
写真が撮れなくなる。何も考えず、もうひたすらただ無心に写真を撮った。

それから、バスは南三陸町仮町役場に到着した。
そうさっきの光景は、まだ南三陸町に着く前の出来事だ。
それだけで衝撃的だ。私の全ての常識が破壊された所は、まだましだという。
では、南三陸町の中心部は一体どうなってるって言うんだ??

そういえば、仮町役場があるところは避難所の中心部なっている。
現在、南三陸町民1万人が避難所で生活している。
そこで、福興市という企画がやっていた。
どうやら東北のアーティストが南三陸町に来て、パフォーマンスしていくという。
今回は全く見れなかったのだが、すごくみんな楽しそうであった。
わいわいしてて、元気そうであった。

それから仮町役場を後にして、町の中心部に行った。
町の中心部は、何もなかった。
言葉に説明するのが難しい。
例えやすいのは、戦後直後の日本。
あのよくテレビで戦後の東京という紹介される光景
まさにあの光景が視界に広がっている。
ホントに何もないのだ。
あるのは、鉄骨だけの防災庁舎
志津川病院。サンポート。でっかい会館。それ以外何もない
瓦礫しかない。瓦礫置き場と言った方が話が早い。
もう、その光景は非現実すぎて最初はわけがわからなかった。
それからボランティアの目的地志津川病院に到着した。

さて、私たちが今回したのは、瓦礫撤去である。
場所は南三陸町公立志津川病院
107人の入院患者の内、75人が津波に飲みこまれて亡くなった。
病院は5階建てで4階部分まで波が来た。
波に飲み込まれたのは歩行困難なお年寄りたち
病院スタッフも自分の死を覚悟し、身元が分かるように自分の腕に自分の名前を書いた。

私たちは、ボランティアをする前に志津川病院正門前の献花台に手を合わせた。
そこには、どろだらけのスヌーピーやぷーさん。大量の飲料水や食料。
枯れかけた花や新しい花が手向けられていた。
そこの周りに大量の蝿がたかっていた。
# by nikonikosan23 | 2011-08-03 19:12 | 写真

ボランティアIN宮城 南三陸町レポート part1現実

私は、7月の30日から8月の1日まで、宮城県南三陸町へ行った。
南三陸町はあの3月11日の東日本大震災で、もっとも被害があった地域の一つである。
今回は富田林市の社会福祉協議会主催のボランティアで参加させてもらった。
私は、今回のボランティアには色々な思いがあった。
まず、自分の目で被災地を確かめる事。
復興していく様子を見たい。
自分には人の不幸を撮影できるのか。
などなどだ。
集合時間は午後4時半であった。
そして現地到着時間が朝の8時半
およそ16時間のバス旅行だった
バスに乗って、数時間ぐらいもう一人の友達と
話したりのんびりしながら、一つ目の休憩場所へ行った。
それからバスの中が消灯して、寝ることになったが、
なかなか眠れない。ものすごくバスが揺れるのだ。
もうすごいってもんではない。
特に宮城に近づくとその揺れもさらにひどくなった。
どうやら、高速道路も震災後に突貫工事で治したらしくて
全部修復するのに10年はかかるらしい。
そんな状況で午前4時ぐらいに
SAに到着。その時におよそ10分前に震度5以上の
地震が起きた事を知る。
私はバスに乗っていたので知らなかったのだが、
その報道を見た時寒気がした。
震度5以上なんて奈良ではそうそう起きるものではない
それが、ほぼ毎日起きているのだ。
私は少し怖がりながら真っ暗なバスの中で、音楽を聞きながら寝た。
それから、岩手県の一関インターで降りて、国道を走っていく。
降りた後の印象は、あれ?という印象だった。
もう完全に復興してるのだ。
確かにショッピングセンターとかはまだ工事している感じだったのだが、
それ以外は全然被害が無いように見える。
私は、もう4カ月経ってるからそらそうだよなと思った。
よかったなぁという安心感が私にはあった。
しかし、その様子は沿岸部に行くと様変わりした。
# by nikonikosan23 | 2011-08-02 20:09 | 写真


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