ボランティアIN宮城 南三陸町レポート part4 この仄暗い街に光を

それから、休憩した後に街を一周した。
街の中心にある防災庁舎に行った。
防災庁舎という名前なのに鉄筋しかない。
防災庁舎の屋上まで水が来て、フェンスごと流されて
助かったのは、町長と一番上のアンテナにしがみついていた数十人だけ
後はみんな流された。
その後、瓦礫しかない道を歩いていく。
道端に写真やトロフィーが転がっていた。
写真は小さな子供がぴーすしてる写真だった。
その隣の水たまりには一面蠅だらけ。
蠅で水たまりが真っ黒になってる姿は衝撃的であった。

後5カ月経った今でも遺体が出てくるらしい。
まぁそれも手だけであったり一部だけだし、
DNA判定のしようもない。
だから、結局誰か分からないらしい。

さて、午後もボランティアを開始した。
みんな黙りつつ、でも少しずつ喋りながら作業を続ける。
そして、みんなの頑張りのおかげで3階フロアの瓦礫の分裂が終了した!!
最後の頑張りには、僕もみんなも一丸となってやれたような気がする。
ほんとに私たちに達成感が広がった。

その後、バスに乗って南三陸町の中心部から離れていく。
実はもう9割は片付いているらしい。
はっきり言おう。この町は住民が戻ってくるという事はない。
違う所に町を移転するのだ。
だから、もう元の場所に戻るという事は無い。

町は死んだ。

さてその後、南三陸町のボランティアセンターに行き反省した後
南三陸町から離れていく。
ちょっと名残惜しかった。
もっと見たかった。写真を撮りたかった。
俺は、最低なのかもしれないけど。

その後、石巻の道の駅で温泉に入って豚串を食べていた所。
ある夫婦に話しかけられた。
その夫婦は、石巻に住んでいる被災者であった。
その夫婦が、ボランティアの方ですか?
と聞かれたので、そうですと言ったら
握手を求められて、泣きながら感謝されました。
僕も泣きながら、ちょっとしか出来なくて申し訳ない。
がんばってくださいとしかいえないですけど
関西で何か出来る事があれば協力させて頂きますと言った。

でもこの夫婦に言ってもらって救われた言葉が
被災地の写真を撮ってくれ。この現実を周りの人に伝えてくれ
という言葉だった。あー俺は間違ってなかったな。と思った

それから、また揺れるバスに乗られて、朝8時に富田林市役所に到着。
その後家に帰って、家ですぐフイルムを現像した。
フイルム10本5時間ぐらいかかったが、
一通り出来ている事に安心し、その後寝たら朝の3時だった(笑)

あーPL行けなかったなぁ行きたかったなぁ
と思いながら現在に至る。
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by nikonikosan23 | 2011-08-07 23:23 | 写真


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