ボランティアIN宮城 南三陸町レポート part2終焉

ぐちゃぐちゃに積み上げられた車達
土台しかない家
赤色に変わった木々たち
駅舎の無い駅
橋脚の無い鉄橋
民家の二階だけが田んぼに突き刺さっている
コンクリートしか残っていない家
海・・海・・・海・・・・・・
その時、空は曇ってた。

私は、その光景になんて言葉にしていいか分からなかった。
バスの中にいた人たちみんなそんな雰囲気だった。
ただ、私はこれは記憶に残さなければならないと思った。
考えると感情が止まらなくなる。
写真が撮れなくなる。何も考えず、もうひたすらただ無心に写真を撮った。

それから、バスは南三陸町仮町役場に到着した。
そうさっきの光景は、まだ南三陸町に着く前の出来事だ。
それだけで衝撃的だ。私の全ての常識が破壊された所は、まだましだという。
では、南三陸町の中心部は一体どうなってるって言うんだ??

そういえば、仮町役場があるところは避難所の中心部なっている。
現在、南三陸町民1万人が避難所で生活している。
そこで、福興市という企画がやっていた。
どうやら東北のアーティストが南三陸町に来て、パフォーマンスしていくという。
今回は全く見れなかったのだが、すごくみんな楽しそうであった。
わいわいしてて、元気そうであった。

それから仮町役場を後にして、町の中心部に行った。
町の中心部は、何もなかった。
言葉に説明するのが難しい。
例えやすいのは、戦後直後の日本。
あのよくテレビで戦後の東京という紹介される光景
まさにあの光景が視界に広がっている。
ホントに何もないのだ。
あるのは、鉄骨だけの防災庁舎
志津川病院。サンポート。でっかい会館。それ以外何もない
瓦礫しかない。瓦礫置き場と言った方が話が早い。
もう、その光景は非現実すぎて最初はわけがわからなかった。
それからボランティアの目的地志津川病院に到着した。

さて、私たちが今回したのは、瓦礫撤去である。
場所は南三陸町公立志津川病院
107人の入院患者の内、75人が津波に飲みこまれて亡くなった。
病院は5階建てで4階部分まで波が来た。
波に飲み込まれたのは歩行困難なお年寄りたち
病院スタッフも自分の死を覚悟し、身元が分かるように自分の腕に自分の名前を書いた。

私たちは、ボランティアをする前に志津川病院正門前の献花台に手を合わせた。
そこには、どろだらけのスヌーピーやぷーさん。大量の飲料水や食料。
枯れかけた花や新しい花が手向けられていた。
そこの周りに大量の蝿がたかっていた。
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by nikonikosan23 | 2011-08-03 19:12 | 写真


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